震災からの復興を願った中澤きみ子津波ヴァイオリンコンサート
INFORMATION
中澤きみ子氏による「津波ヴァイオリン」を用いたコンサート。先の東日本大震災から6年が経過した現在、この未曾有の大惨事を決して忘れずいつまでも記憶に留めるため、また被災地、被災者への癒しのため、祈りの場であるチャペルにて「津波ヴァイオリン」を用いたコンサートを行う。同時に、震災からの復興をテーマにした10分程度の映像を上映する。
詳細情報
名称
震災からの復興を願った中澤きみ子津波ヴァイオリンコンサート
内容
《講師》
中澤 きみ子 氏(ヴァイオリン演奏者)
中澤 宗幸 氏(弦楽器製作者)
中澤 きみ子 氏(ヴァイオリン演奏者)
中澤 宗幸 氏(弦楽器製作者)
対象者
本学学生、教職員、校友、一般
※申込不要、入場無料
※申込不要、入場無料
主催
コミュニティ福祉研究所
備考
【講師略歴】
中澤 きみ子 氏
新潟大学卒業後、ザルツブルク、モーツァルテウム音楽院にてL?デ?バルビエリ氏に師事し、同音学院を最優秀で修了する。1992年、中国北京文化庁の招聘により、日中国交20周年記念行事に参加。北京中央楽団とベートーヴェンのコンチェルトを共演。1999年にはノーベル賞受賞で著名なドイツ?フンボルト財団の招聘により、ボンのベートーヴェンホール他、各地でリサイタルを開催し、絶賛された。2000年には文化庁芸術家海外派遣員としてオーストリア?ウィーンに留学。
2012年、夫であり、弦楽器製作者中澤宗幸が東日本大震災の流木から製作した「TSUNAMIヴァイオリン」の演奏に積極的に取り組み、震災を忘れず、また被災者の癒しのために法隆寺、伊勢神宮、明治神宮での奉納演奏に加え、各地で演奏している。
中澤 宗幸 氏
幼少時より父親にヴァイオリンと楽器製作を学ぶ。1980年、東京にアトリエ(株式会社日本ヴァイオリン)を構え、国内外の著名な演奏家の楽器の修理、メンテナンスの仕事に従事。ヨーロッパの歴史ある楽器商や名工との交流のなかで、楽器の知識、修復等の技術研鑽に励む。2012年、東日本大震災で出た瓦礫を材料にしてヴァイオリンを製作し、鎮魂と記憶にとどめる運動を提案。現在、工房に座るかたわら、世界各国の著名な演奏家や博物館等のストラディヴァリをはじめとする名器の修復に努め、世界一流アーティストの楽器メンテナンスを手がけている。財団法人Classic for Japan代表理事。
◆「TSUNAMIヴァイオリン」とは
TSUNAMIヴァイオリンは、東日本大震災の津波で流される家屋や流木を見ながら言った中澤きみ子氏の発言から生まれました。中澤きみ子氏は、通称ガレキと呼ばれた木々たちを指して、「あれはガレキの山なんかではなく、思い出の山じゃない?」と言ったのです。この発想の下に、これらの木々は、ご主人であるヴァイオリン製作者の中澤宗幸氏の手によってヴァイオリンやヴィオラやチェロにまで生まれ変わったのです。ヴァイオリン演奏者の黒沼ユリ子氏が言うように、「思い出の詰まった板」たちは、これから永久に「痛みと励まし」のこもった音色で、あの未曾有の大悲劇を音楽を通して語り続けます。何しろ、あの「奇跡の一本松」の幹からとられた「魂柱」が、楽器の内側から連帯証言しているのですから。
中澤 きみ子 氏
新潟大学卒業後、ザルツブルク、モーツァルテウム音楽院にてL?デ?バルビエリ氏に師事し、同音学院を最優秀で修了する。1992年、中国北京文化庁の招聘により、日中国交20周年記念行事に参加。北京中央楽団とベートーヴェンのコンチェルトを共演。1999年にはノーベル賞受賞で著名なドイツ?フンボルト財団の招聘により、ボンのベートーヴェンホール他、各地でリサイタルを開催し、絶賛された。2000年には文化庁芸術家海外派遣員としてオーストリア?ウィーンに留学。
2012年、夫であり、弦楽器製作者中澤宗幸が東日本大震災の流木から製作した「TSUNAMIヴァイオリン」の演奏に積極的に取り組み、震災を忘れず、また被災者の癒しのために法隆寺、伊勢神宮、明治神宮での奉納演奏に加え、各地で演奏している。
中澤 宗幸 氏
幼少時より父親にヴァイオリンと楽器製作を学ぶ。1980年、東京にアトリエ(株式会社日本ヴァイオリン)を構え、国内外の著名な演奏家の楽器の修理、メンテナンスの仕事に従事。ヨーロッパの歴史ある楽器商や名工との交流のなかで、楽器の知識、修復等の技術研鑽に励む。2012年、東日本大震災で出た瓦礫を材料にしてヴァイオリンを製作し、鎮魂と記憶にとどめる運動を提案。現在、工房に座るかたわら、世界各国の著名な演奏家や博物館等のストラディヴァリをはじめとする名器の修復に努め、世界一流アーティストの楽器メンテナンスを手がけている。財団法人Classic for Japan代表理事。
◆「TSUNAMIヴァイオリン」とは
TSUNAMIヴァイオリンは、東日本大震災の津波で流される家屋や流木を見ながら言った中澤きみ子氏の発言から生まれました。中澤きみ子氏は、通称ガレキと呼ばれた木々たちを指して、「あれはガレキの山なんかではなく、思い出の山じゃない?」と言ったのです。この発想の下に、これらの木々は、ご主人であるヴァイオリン製作者の中澤宗幸氏の手によってヴァイオリンやヴィオラやチェロにまで生まれ変わったのです。ヴァイオリン演奏者の黒沼ユリ子氏が言うように、「思い出の詰まった板」たちは、これから永久に「痛みと励まし」のこもった音色で、あの未曾有の大悲劇を音楽を通して語り続けます。何しろ、あの「奇跡の一本松」の幹からとられた「魂柱」が、楽器の内側から連帯証言しているのですから。