探偵講談の復活から乱歩講談を切り拓く

旭堂 南湖(講談師)

2024/02/07

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OVERVIEW

明治時代に流行しながら、後世には忘れられてしまった「探偵講談」というジャンルの復興を志し、講談の新たな可能性を模索してきた旭堂南湖さん。乱歩作品の講談化も実践し、主に『魔術師』などをレパートリーとして口演し続けている。乱歩と講談がいかに結びつくのか。乱歩作品の音読のススメなど、声に出して読みたくなる乱歩作品の魅力についてお話を伺った。

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旭堂南湖さんが語る「探偵講談の復活から乱歩講談を切り拓く」

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講談「江戸川乱歩と神田伯龍」
特別に講談を、一席披露いただきました。

探偵講談と「名探偵ナンコ」

—— 南湖さんは、明治期に流行った「探偵講談」というジャンルの復活を志され、乱歩作品の講談化も手がけておられます。乱歩自身、講談や落語といった寄席芸を好んでいましたが、乱歩を講談にするという発想は、どのように生まれたのでしょうか。
旭堂南湖(以下省略)1999年に講談師になりまして、修行として、軍談、怪談、武芸物……いろいろなジャンルをやるわけです。その中で「探偵講談」というのを知りまして。「探偵講談」は明治時代に流行った、いわゆるミステリーの講談なんですね。実際の事件を取材して、近所の方に話を聞いて「こいつ、実は悪いやつでございまして……」というのを、当時の講談師がやっていたんです。つまり、講談が今のワイドショーのような役割も持っていた。その頃、西洋からコナン?ドイルなどの作品がどんどん入ってきていて、講談師も大勢いましたから、何か新しいものをつくろうという機運の中で探偵講談が誕生したんですね。

—— 『都新聞』に「探偵実話」という実録の続き物が連載されて、それが探偵小説の原形だったともいわれます。
それと同じ流れでしょうね。ただ、平成の時代に探偵講談をやっている人はほとんどいなかった。埋もれさせておくにはもったいないので、昔の講談の速記本を手に入れて、やってみようと思ったんです。で、企画タイトルを考えまして、私は旭堂南湖ですから「名探偵ナンコ」と。
—— どこかで聞いたような……。
もちろん『名探偵コナン』のパロディなんですけれども(笑)、よく考えると、コナン君も「江戸川コナン」という名前ですから、乱歩先生の影響下にあるわけです。で、2001年に「名探偵ナンコ」の第1作として『夢の世界』という明治時代の探偵講談をやることにしたんですが、手がかりが少なかった。当時『小林文庫』というインターネットのサイトがあったので、そこに「探偵講談について詳しくご存じの方がいらしたら、お教えいただきたい」なんて書いたんですよ。じつは『小林文庫』は、ミステリーマニアが集まるところだったと後で知るんですが……。その書き込みをご覧になったのが、当時大阪にお住まいだった作家の芦辺拓先生。「今度『名探偵ナンコ』に行きます」って客席にお越しくださったんですね。

—— 本当に来てくださった。
ええ。せっかくですので、打ち上げにお招きしてご一緒したら、めちゃくちゃよう喋るんですよ(笑)。講談師以上によう喋るんで、「この方は客席よりも舞台に上がっていただいたほうがいい」と、毎回芦辺先生をゲストに呼ぶことになりまして。そこで、芦辺先生が「乱歩作品を講談でやったらどうですか」とか、いろいろアイデアをくださったのがきっかけで、乱歩作品の講談をやることになるわけです。

乱歩作品と講談との相性

—— 乱歩作品と講談との相性について伺えますか。
そうですね。乱歩先生の作品を講談化しようと思ったときに、声に出して読んでみたら、ものすごくリズムがよかったんですよ。乱歩先生、奥さんに自分の書いた小説を音読させていたそうですね。それを耳で聞いて、直すところを確認していたと。そういう書き方をされていたので、声に出して読むと、言葉の調子も物語もよりおもしろく感じられる。

—— 黙読が中心になる前の音読という受容の仕方。
ええ。今は本を読むとき、皆さん、普通に黙読されると思います。昔は音読という文化もあったはずなんですね。だから音読すると、いいんです。乱歩先生は、今はなくなってしまった本牧亭という講談専門の寄席に探偵作家クラブの面々で行っていて、色紙も残っておりましたね。だから、本当に講談がお好きだったんですね。

—— 乱歩の講談好きが、実際に作品に反映されていると感じられるものはありますか。
「魔術師」で、明智小五郎が汽車に乗りまして、上野へ到着するんですけれども、このときに「車中別段のお話もない」と書かれている。じつはこれ、講談でよく使われるフレーズなんですね。
—— あ、なるほど。
『水戸黄門漫遊記』という講談があります。史実では、黄門さんはほとんど水戸から出なかったそうですが、講談師がアイデアを加えまして、全国漫遊させるようにしたんですね。それで大変評判になったんですけれども、御一行が「道中別段、これと言ったこともなく、次の宿場へと到着いたしました」というんですよ。講談では、主人公がここからあっちへ行くときに、何か起これば、そこで物語になりますし、そうでなければ「道中別段、これと言ったこともなく」と移動させるんですね。明智小五郎も「車中別段のお話もない」といいながら、上野へ到着する。これはもう講談と一緒だと思いましてね。
—— まったく気がつきませんでした。そういうところから、乱歩作品を講談にしようという発想も出てきたのでしょうか。
小説を講談化するとき、どこを取って、どこを削るかという作業をするんですが、たとえば『魔術師』は、非常に原文に近い台本になりました。こちらにご挨拶に伺って、ちょうどこの部屋で、釈台を置いて座蒲団を敷いて、平井隆太郎先生の前でさせていただいたんですけれども。

—— それはいつ頃ですか。
2002年ですね。3月28日に立教大学に鍵を渡すという、その3日くらい前だったんです。

—— 乱歩邸と資料などを立教大学が譲り受けた直前に。
そうなんです。で、そのときに「乱歩先生の作品を講談化したいんです。よろしいでしょうか」と隆太郎先生にお伺いを立てまして、お許しをいただいた。そのとき、乱歩先生は講談が大好きでよく聞いていて、隆太郎先生も子どものときに寄席にも連れられて行ったそうですね。「でも、私は落語のほうが好きでした」なんておっしゃって(笑)。土蔵も拝見しました。ミステリーファンは、あの土蔵に、一度でいいから入ってみたいという夢をお持ちだと思うんですね。そこに入れるというので、本当に嬉しかったですね。

—— 実際に入ってみて、いかがでしたか。
ずらーっと本が並んでいる中に、探偵講談の速記本がありまして。「ああ、やっぱり講談と接点もあったんだ、こういうふうに勉強されていたんだ」と。講談の中でも、とくにお好きだったのが「大岡政談」だそうですね。お裁き物で、犯人が事件を起こして、名奉行が解決をする。つまりミステリーですよね。

—— 明智小五郎も、講談師の五代目神田伯龍がモデルだったと。
そうなんです。「D坂の殺人事件」に書かれていますね。明智小五郎にモデルがいるというのは、小学校でポプラ文庫を読んでいるときは全然気づきませんでしたが、大人になって、改めて「D坂の殺人事件」を読んでみると、ちゃんと書いてあるんですね。

—— 「伯龍といえば、明智は顔つきから声音まで、彼にそっくりだ」と。
南湖 五代目のお弟子さんで、六代目伯龍先生にお会いしたときに「若い頃に乱歩先生にお会いしました」とおっしゃったんです。乱歩先生は五代目と対談もされているので、そのときの印象を伺ったら、「大作家の人物でした」と。六代目伯龍先生は当時まだ若くて、紅顔の美少年という感じだったので、「乱歩先生がお尻を撫でてきた」なんて言うわけです。本当かどうか知りませんけど(笑)。

乱歩講談——『魔術師』と『二銭銅貨』

—— 乱歩で講談をされたのは『魔術師』が最初ですか。
そうですね。芦辺拓先生のお勧めだったんです。ぶわーっと大風呂敷を広げるところがすごくいい。どうなるんだ、どうなるんだと、次々に謎が現れてくる。そこが魅力的でしたね。で、活劇なので、講談の口調にすごく合うんです。

—— 先ほど小説の音読がそのまま講談の調子になっていったと伺いました。長編ですので、どのようにエッセンスをつまみながら構成されたんでしょうか。
やっぱり派手な場面がいいんですよね。張り扇を使ってパンパーンと明智小五郎が飛び出してくるとか、そんなふうにやりますと、すごく物語に合う。あと『魔術師』は長い話で、講談は「続き読み」ができるんです。「ここからがおもしろいところですが……この続きはまた明日」と。昔は365日、講釈場がありましたから、長い話のほうが喜ばれたんですよ。木戸銭も風呂賃と同じくらいで安いお金で聞けましたし。ですから、連続物でずっとやっていた。そんな雰囲気を出そうと思って『魔術師』もつくりました。

—— 続き読みの楽しさが、乱歩の長編を基にすることで遺憾なく発揮される。
そうなんですよね。当時、名張に中相作さんという乱歩研究者がおられて、中さんが仕掛け人になって池袋の大きなところでさせていただいたり、伊賀や大阪でもさせていただいたりしました。だから、名張の中さんと芦辺先生のお力で、乱歩作品の講談が出るようになったんです。それで『魔術師』の次は『二銭銅貨』をやりました。

—— 長編の次は短編を。
ええ。一話完結の一席物もあったほうがよかろうというので、私が選んだと思うんですけれども、なぜ選んだのか……。再読して気づいたんですが、途中で講談本を読むシーンが出てくるんですよ。トリックを解決するきっかけとして、講談のスターである真田幸村が出てくる。そういったところから『二銭銅貨』を選んだはずです。あと、名張の名産で「二銭銅貨せんべい」というのがあって、お客様にプレゼントしていたので(笑)。

—— 「二銭銅貨」を講談にしてみて、いかがでしたか。
探偵が、犯人が吸っていたらしき「フィガロ」というエジブトの煙草を探して歩くんですが、その描写が、小説では半ページか1ページなんです。ところが講談でやると、本当に探偵が汗を流しながら、一歩一歩犯人を探している、その情景が非常に目に浮かぶという声をいただきましたね。

—— 講談として語ることで、より細かく表現された。
それから、点字の「南無阿弥陀仏」の暗号を覚えたんですよ。いま思えば、ようこんなの覚えたなと(笑)。本当に記号のような意味のない言葉ですが、全部覚えて高座でやったんです。でも、お客様に伝わらなくて(笑)。皆さん、きょとんとしていましたねえ。

—— 暗号のようにミステリーの要素として重要な、けれども文字で見ないとわからない仕掛けを語りだけで伝えるのは難しそうです。
難しいですね。けれども、皆さん、想像力を使って、その情景をそれぞれに思い浮かべてくださる。明智の容貌にしても、乱歩先生は、神田伯龍に似ているけれど、「伯龍を見たことのない読者は、諸君の知っている内で、所謂好男子ではないが、どことなく愛嬌のある、そして最も天才的な顔を想像するがよい」(「D坂の殺人事件」)と書いてますから、皆さん、それぞれの明智小五郎があると思うんです。そういう想像力をかき立てるところも魅力ですよね。

探偵講談でミステリーファンを講談に

—— 改めて、講談というジャンルの中の、探偵講談や乱歩作品を講談化する可能性について伺えますか。
講談というのは、どうしても古臭い印象がありまして、ここ数年、神田伯山さんの活躍で、だいぶ皆さんの頭に講談のイメージが浸透しはじめましたけれども、2002年頃は、ほとんどの方が講談は知らなかった。「落語は知ってますけど講談? 三味線と一緒にやる……?」「それは浪曲なんですよ」なんて(笑)。

—— 講談じたいの認知度が低かった。
ええ。で、わからないもの、知らないものは聞きに行く気持ちになりませんよね。ところが「探偵講談、ミステリーの講談なんですよ」と説明すると、ミステリーファンの方々が「講談は知らないけれども、乱歩作品、ミステリーなら聞いてみたい」と大勢集まってくださり、講談を聞いていただくきっかけのひとつになった。当時、講談会の客席はご年配の方がほとんどだったのですが、若い顔もずいぶん見られて、それが嬉しかったですね。

—— 講談に観客を惹きつけるテーマとして有効だった。
そうなんです。乱歩作品は年配の方も大好きですし、若いファンもいますから。「少年探偵団」シリーズでも「芋虫」でも、いろいろな話があって、それぞれに好きなものがある。それを語りで聞いてみたいという興味があって、喜んでいただけた。老若男女、ファンがいるのは大きいですよ。

—— 講談にしてみたい乱歩作品はおありですか。
近頃、学校公演も多くて、小学校、中学校、高校に行く機会がありますから、子どもたち向けに「少年探偵団」シリーズとか、子どもたちが活躍する話をやっていけたらいいですね。
—— 今後、探偵講談を積極的になさっていくのでしょうか。
やっていきたいと思っています。今、講談師の数も増えてきましたから。探偵講談も「あ、そんなんがあるんだ」という若い講談師もいると思います。探偵講談をやる人が増えていけば楽しいなと思っています。芦辺先生や中さん、東京では推理小説研究家の山前譲さん、『新青年』研究会の方々とか、本当にミステリーの好きな方々が、応援や協力してくださったおかげで、私も探偵講談ができるようになった。一人では何もできませんでした。ミステリー好きな方は多いので、何百とある探偵講談は、これからもますます光が当たっていくジャンルになるでしょうし、私もそれを未来へつないでいきたいですね。

旧江戸川乱歩邸応接間/2023年11月27日
動画撮影?編集:吉田雄一郎(メディアセンター)
写真撮影?編集:末永望夢(大衆文化研究センター)
聞き手?文:後藤隆基(大衆文化研究センター助教)

※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。

プロフィール

PROFILE

旭堂 南湖(きょくどう?なんこ)

1973年、兵庫県生まれ。滋賀県で育つ。講談師。99年3月、大阪芸術大学大学院修士課程(芸術文化研究科)修了。同年4月、三代目旭堂南陵に入門。同年6月に初舞台。古典講談の継承、探偵講談の復活、新作講談の創造に意欲的に取り組んでいる。

日本全国の講談会、落語会で活躍中。2015年、主演DVD作品『映画 講談?難波戦記 真田幸村 紅蓮の猛将』が全国ロードショー。著書に『旭堂南湖講談全集』『滋賀怪談 近江奇譚』など。03年大阪舞台芸術新人賞、10年第65回文化庁芸術祭新人賞、21年第46回滋賀県文化奨励賞を受賞。

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